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任天堂

任天堂

任天堂株式会社(英語名 Nintendo Co., Ltd.)は、京都市南区に本社を置く家庭用レジャー機器の製造・販売を行う会社である。

概要

1889年に山内房治郎が、京都市下京区にて任天堂骨牌を設立したのが始まりである。当初は手作りの花札を製造し、販売する会社だった。その後タクシー会社やラブホテルを経営するなど、さまざまな事業に手を出すも、最終的には娯楽業界一本に絞り、エンターテインメント・カンパニーとして成長を遂げた。現在ではゲームハードやソフトの開発、販売を主に行っている。

歴史

山内房治郎が1889年(明治22年)に任天堂骨牌を創立して、手造りの花札の製造販売に乗り出した。任天堂の大統領印の花札は京都と大阪の支店で販売され、人気を集めた。

1907年には日本で初めて西洋式カード(トランプ)の製造に踏み切る。それまで自社のカードを支店でしか売っていなかった任天堂は、流通経路を拡大する必要に迫られた。そこで国営の独占企業体であった日本専売公社と交渉して、全国のタバコ店で任天堂のカードを売って貰う事にした。

1929年、房治朗は婿養子として金田積良を迎え入れ、金田改め山内積良が二代目社長となった。

1933年には山内任天堂という新会社を設立し、さらには丸福という卸専門の子会社を設立。

1949年には中興の祖となる山内溥が三代目社長となる。

年代 主な出来事
1950 1951年に社名を任天堂カルタに変更、製造機構を高松町に移す。1953年には日本で初めてとなるプラスチックでコーティングされたカードの製造を開始。1959年にはウォルト・ディズニーとライセンス契約を結び、ディズニーのキャラクターをあしらったディズニートランプを販売する。
1960 1963に任天堂カルタからカルタを抜き、任天堂に社名を変更。新しく生まれ変わった任天堂がまず最初に手がけたのは、”インスタント・ライス”だった。これは無残な失敗に終わる。その後ラブホテルやタクシー会社など幅広い事業に手を出すも、結局それらから手を引きエンターテイメント事業に絞ることとなる。1969年には任天堂初の研究部門”ゲーム”が設立される。
1970 光線に反応するターゲットを添えた光線銃が1970年に発売、数年間で100万セット以上の売り上げを記録した。これを機に、任天堂は急成長を遂げることとなる。1973年にはボーリングブームが下火になって閉鎖されていたボーリング場を利用し、世界初の”レーザークレー射撃場”が京都で開店した。1974年にはワイルド・ガンマンを制作する。しかし、その後日本を襲った第一次石油ショックの影響を大きく受け、射撃場は下火になり、海外からの注文もキャンセルが相次いだ。この事業に多額の投資をしていた任天堂は、突如として倒産の危機に陥った。そこでマグナボックス社と交渉して、同社のビデオゲーム・システムを日本で製造販売するライセンスを取得した。その後三菱電機と組み、1977年に「カラーTVゲーム6」を発売。さらには「カラーTVゲーム15」も続き、これらの売り上げ台数は総計で50万に達した。
1980 1980年、当時ブームを迎えていた電卓からヒントを得て「ゲーム&ウオッチ」を開発する。そしてその後1983年、宇治工場を拡大。さらにはファミコンを発売した。ファミコンは発売後2ヶ月で50万台以上売れた。しかし、6ヵ月後に重大なマシントラブルが発覚、リコールが行われた。それでもファミコンの売り上げは、1000万台を突破しても衰えなかった。1984年にはライセンス企業としてハドソンとナムコが名乗りを上げ、ハドソンが『ロードランナー』を、ナムコが『ゼビウス』をそれぞれ発売した。初期のライセンス企業にはこのほかにタイトー、コナミ、カプコン、バンダイがいた。このライセンス企業は1985年には17社、一年後には30社、1988年には50社になっていた。
1990 1990年にはファミコンの次世代機スーパーファミコンを発売。大ヒットを記録し、任天堂は世界で最も利益率の高い会社のひとつとなり、1991年には日本ではトヨタに次ぐ超優良企業となった。さらにCD-ROMソフトウェアの支配権を確立するために、ソニーとの共同開発に乗り出す。しかし、これは失敗に終わり、後に「プレイステーション」として任天堂の前に立ちはだかることになる。1995年にはバーチャルボーイを発売するが不振に終わる。翌1996年にNINTENDO64を発売するも、サードパーティ離れや任天堂からも新作ゲームが出ず、据え置き型ゲーム機のトップシェアから陥落。同年ゲームボーイでポケットモンスターが大ヒットする。
2000 2000年にはNINTENDO GAMECUBEを発表するも、同時期にソニーが発売したPlayStation2の後塵を拝する。2002年には山内溥が社長から退き、岩田聡が社長に就任する。その後2004年に携帯用ゲーム機ニンテンドーDS、2006年に据え置き型ゲーム機Wiiを発表し、それぞれが携帯ゲーム機、据え置き型ゲーム機においてシェアトップに躍り立ち、10数年ぶりとなるトップを奪還した。
2010 2011年にニンテンドー3DSを発売するも、同時期に日本を襲った東日本大震災の影響を受け売り上げが伸び悩む。半年後には値下げを行う。その後『マリオカート7』ヤ『モンスターハンター3G』の発売に後押しされ、日本市場最速の52週目にして500万台の売り上げを達成する。2012年末にWii Uを発売した。

沿革

出来事
1889 山内房治郎が、京都市下京区にて花札の製造を開始。
1902 日本初のトランプ製造に着手。
1947 京都市東山区今熊野東瓦町に株式会社丸福(現・任天堂株式会社)を設立。
1949 取締役社長に山内溥(現・相談役)が就任。
1951 任天堂骨牌株式会社に社名変更。
1952 京都市内に分散していた製造場を、京都市東山区福稲上高松町にまとめ、工場を設置。
1953 日本初のプラスチック製トランプの製造に成功、量産開始。
1959 本社を京都市東山区福稲上高松町に移転。かるた自動裏貼機を開発し、かるた製造を自動化する。
1961 東京都千代田区に東京支店を設置。
1962 大阪証券取引所市場第二部および京都証券取引所に株式を上場。
1963 任天堂株式会社(現商号)に社名変更。
1968 京都府宇治市に宇治工場(現 宇治小倉工場・任天堂サービスセンター)を設置。
1970 大阪証券取引所市場第一部に指定。
1973 ボーリングに替わるマス・レジャー・システム「レーザークレー射撃システム」を開発。
1977 家庭用テレビゲーム機「テレビゲーム15」、「テレビゲーム6」を発売。
1978 業務用テレビゲーム機を開発、販売開始。
1980 携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」発売。アメリカ、ニューヨーク州に現地法人Nintendo of America Inc.を設立。
1982 アメリカ、ワシントン州に新たに現地法人Nintendo of America Inc.を設立し、既存のニューヨーク州法人を吸収合併。
1983 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。家庭用テレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。京都府宇治市に新工場(現 宇治工場)を設置。
1989 携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。
1990 家庭用テレビゲーム機「スーパーファミコン」を発売。ドイツに現地法人Nintendo of Europe GmbHを設立。
1996 家庭用テレビゲーム機「NINTENDO64」を発売。
2000 本社を京都市南区上鳥羽鉾立町11番地1(現在地)に移転。
2001 携帯型ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」を発売。家庭用テレビゲーム機「ニンテンドー ゲームキューブ」を発売。
2002 取締役社長に岩田聡が就任。
2004 携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売。
2006 家庭用テレビゲーム機「Wii」を発売。
2011 携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」を発売。
2012 家庭用テレビゲーム機「Wii U」を発売。

関連会社

過去に出資していた会社

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